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2026年08月17日
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イベントレポート 建築セミナー2026

Vol.2 銀座4丁目交差点における景観の歴史的変遷 都市の記憶を読み解き、次のランドマークを考える

2026年7月27日(月)、小松ウオール工業株式会社主催の「建築セミナー2026 Vol.2」を、101 TOKYO SHOWROOM(東京都千代田区錦町)にて開催しました(会場・オンライン同時開催)。

本セミナーは、建築に携わる皆さまと共に、これからの建築がもたらす可能性を探求する場として、2025年に始動した取り組みです。2026年は、講義で得た知識を実際の空間で確かめられるよう、講義と建築見学を組み合わせて開催しています。

今回のテーマは「銀座4丁目交差点における景観の歴史的変遷」。SEIKO HOUSEの時計塔をはじめ、東京を象徴する風景として親しまれてきた銀座4丁目交差点は、どのような歴史を経て現在の姿へといたったのか——。講師に、建築家・建築史家の松本裕介さんをお迎えし、明治から現代まで約150年にわたる街並みの変化を紐解きました。

街を歩き、建築の歴史を読み解く

▲講師を務めた建築家・建築史家の松本裕介さん

講師の松本さんは、東京大学大学院で日本建築史を研究した後、設計事務所勤務を経て独立。現在は建築設計に取り組むとともに、建築史講座や歴史的建造物の散策会などを主催しています。自ら街を歩き、断片的に残された資料を結び合わせて建築・都市の歴史を浮かび上がらせる手法は、本講義でも存分に発揮されました。

古地図や錦絵、古写真、当時の新聞資料など、松本さんが丹念に収集した豊富な資料をたどりながら、講座が進みます。

銀座煉瓦街から始まった、新しい都市の風景

▲錦絵や古地図を用いて、銀座煉瓦街の成り立ちを解説

講義は「銀座」という地名の成り立ちからスタートしました。江戸時代、現在の銀座1丁目から4丁目付近は、銀貨鋳造の役所「銀座」に由来して銀座、または新両替町と呼ばれていました。一方、現在の5丁目から8丁目に当たる地域には尾張町新地、尾張町、竹川町、出雲町、南金六町などの町名があり、「銀座八丁」という現在のまとまりが生まれたのは昭和初期のことでした。

街の姿を大きく変えたのが、1872(明治5)年2月の「銀座大火」でした。表通りの町並みがほぼ全焼したことをきっかけに、同年9月の鉄道開通(新橋・横浜間)に合わせて東京の玄関口にふさわしい街並みへの再整備が決定。そこで設計を担ったのは、お雇い外国人のトーマス・ウォートルス。煉瓦造の洋風建築が連なる銀座煉瓦街にはガス灯がともり、やがて馬車鉄道も走り始めます。

▲明治5〜10年ごろの銀座煉瓦街の様子

その後、店ごとの看板増設や増改築によって統一された街並みは次第に変化し、1923(大正12)年の関東大震災で煉瓦街の多くが失われました。しかし、そこからの震災復興を経て、百貨店や時計店、カフェなどが立ち並ぶモダンな都市風景へと変化を遂げていきます。

交差点の四隅に刻まれた、建築と商いの歴史

▲銀座4丁目交差点の説明をする松本裕介さん

講義の後半では、今回の本題である「銀座4丁目交差点」の四隅に建つ建築の変遷に迫りました。

【北西角(現 SEIKO HOUSE)】
この場所には、新聞社や測量機械・時計店を経て、1883(明治16)年に服部時計店が進出しました。関東大震災後、渡辺仁の設計により、1932(昭和7)年に現在の建物が完成。戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による接収期を経ながら、時計塔とともに銀座を代表する存在であり続けています。

▲改築中の服部時計店の説明をする松本裕介さん

【北東角(現 銀座三越)】
北東角には複数の新聞社や洋服店が入り、1930(昭和5)年に銀座三越が開業しました。戦災後は躯体を生かして営業を再開し、1968(昭和43)年に現在の建物へと建て替えられます。1971(昭和46)年には、日本マクドナルドの1号店が開店した場所としても知られています。

▲開業当時の銀座三越

【南西角(現 GINZA PLACE)】
南西角では、新聞社からカフェー・ライオン、ビヤホールへと商いが受け継がれ、1970(昭和45)年には自動車ショールームを併設したサッポロ銀座ビルが誕生しました。その跡地には現在、大成建設とクライン・ダイサム・アーキテクツ設計によるGINZA PLACEが立っています。

▲1931(昭和6)年ごろのライオンエビスビヤホール

【南東角(旧 三愛ドリームセンター)】
そして南東角では、大阪堺の堺段通という絨毯を販売するお店に始まり、銀行、ビヤホールなどを経て、戦後に婦人服店の三愛が開店。1963(昭和38)年には、総ガラス張りの円筒形が印象的な三愛ドリームセンター(設計:日建設計工務(林昌二))が完成しました。

▲三愛ドリームセンターについて説明する松本裕介さん

時代ごとに建物も商いも変わりながら、それぞれの角地が常に新しい文化を発信してきたことが、数多くの資料から立体的に浮かび上がりました。

▲GINZA PLACEから見た現在の銀座4丁目交差点

ランドマークが、街に共通の記憶をつくる

▲講義後の質疑応答。銀座4丁目交差点の都市的な意味を掘り下げた

講義後の質疑応答・対話セッションでは、銀座4丁目交差点が特別な場所であり続ける理由について深い議論が交わされました。

松本さんは、誰もが場所を共有できる「わかりやすいランドマーク」の 重要性を指摘。交差点の角を斜めにカットする「隅切り」については、銀座煉瓦街の建設時、四隅に共通した意匠の建物が置かれたことが起点ではないかと解説しました。

また、当日は三愛ドリームセンター跡地に建つ新しいビルの設計を手がける建築家・小堀哲夫さんも来場。銀座が新聞社、カフェ、百貨店など、その時代の新しい文化や営みを受け入れてきた街であることに触れ、「銀座は新しい文化や営みを寛容に受け入れてきた街。変化を許容し、常に最新のものへと更新していく度量があった」と感想を述べられ、会場全体の議論がさらに深まりました。

▲建築家・小堀哲夫さんからもコメントをいただきました

松本さんの緻密なリサーチによって明らかになったのは、銀座の景観が、単に古い建物を残すことで守られてきたのではないということです。建築と商いが更新を繰り返すことで、その時代の都市文化を映しながら、場所の記憶を受け継いできました。

新たな建築が生まれようとしている今、銀座4丁目交差点は再び大きな転換点を迎えています。過去の文脈を丁寧に読み解くことは、これからの都市や建築を創造し、次の風景をつくるための豊かな手がかりになる。今回の講義は、建築の継承と更新を考える貴重な機会となりました。

建築セミナー企画委員 鏡 晋吾

開催概要

建築セミナー2026 Vol.2 
「銀座4丁目交差点における景観の歴史的変遷」
日時:2026年7月27日(月)18:30〜20:30
会場:小松ウオール工業株式会社 101 TOKYO SHOWROOM
講師:松本裕介氏(建築史家・建築家)
主催:小松ウオール工業株式会社
形式:会場・オンライン同時開催